「推しがいないと、息ができない気がする」——そう感じながら、同じ心のどこかで「こんな自分はおかしいのかな」「もう、やめたほうがいいのかな」と思っている。そんな夜を過ごしているのかもしれません。
推しを好きでいたい気持ちと、その気持ちに振り回されてしんどい気持ち。そのどちらも、いま同時にあって構いません。この記事は、推しへの依存を「やめさせる」ためのものではありません。やめるかどうかを決める前に、揺れたままの気持ちを、ひとりで抱えなくてもいい——そのことだけ、お伝えできればと思っています。
推しに依存してしまう自分は、おかしいのでしょうか
いいえ、おかしくはありません。推しの存在は、つらい毎日のなかで心を支えてくれる「よりどころ」になっていることが多いからです。何かに強くすがらないと立っていられない時期は、誰の人生にもあります。
「推しがいたから、今日も生きられた」。そう思える対象があること自体は、責められるようなことではありません。依存という言葉は強く聞こえますが、それはあなたが、それだけ必死に毎日をしのいできた証でもあります。
まず、推しを好きな自分を「だめなもの」として裁かなくて大丈夫です。ここでは、その気持ちを否定しません。
「推し活をやめたい」と「やめたくない」が同じ心にあるとき
課金が止まらない。時間が溶けていく。推しのことで頭がいっぱいで、仕事や生活がうまく回らない。そんなとき、ふと「やめたい」と思う。けれど次の瞬間には、「推しを失うほうが怖い」「推しだけが救いなのに」と思う。
この二つの気持ちは、矛盾しているように見えて、どちらも本当のあなたの気持ちです。「今すぐ、どちらかに決めなければいけない」わけではありません。
やめる・やめないを決めるよりも前に、揺れているその時間そのものを、まずはそのままにしておいていいのです。心が二つに引き裂かれそうな夜は、答えを急がず、ただその苦しさをいったん横に置くだけでも構いません。
自分を消費してしまう感覚がつらいあなたへ
リアコ(本気で恋をしている感覚)、貢ぐこと、自分の生活や心をすり減らしてでも推しを優先してしまうこと。「自分には推ししかない」「推しのためなら、自分はどうなってもいい」。そこまで来ると、自分で自分を大切にすることが、だんだん難しくなっていきます。
それを「やめなさい」と言いたいのではありません。ただ、もしあなた自身がすり減って、消えてしまいそうになっているのなら、その痛みのほうを、少しだけ見てあげてほしいのです。推しを大切にしてきたその優しさを、ほんの少し、自分にも向けられたら——と願っています。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
(出典:マタイによる福音書 11:28・口語訳)
聖書のこの言葉は、「重荷を捨ててから来なさい」とは言っていません。重荷を負ったまま、しんどいまま、そのまま来ていい——そう語りかけています。推しへの気持ちも、それにともなう苦しさも、抱えたままで構わないのです。
ひとりで抱えなくていい|誰にも言えない気持ちを、オンラインで
推しへの気持ちは、友達にも家族にも、なかなか言えないものです。引かれるかもしれない、笑われるかもしれない、心配させるかもしれない。だから一人で抱えこんで、夜がどんどん深くなっていく。
アドナイ・エレ教会は、オンラインで無料の懺悔室を開いています。クリスチャンでなくても、信仰がなくても、教派は問いません。「やめます」と約束する必要もありません。ただ、推しのことで苦しい、自分が消えてしまいそう——そんな話を、聞くことはできます。答えが出なくても、話を聞くことはできます。
無料の相談の入り口は懺悔室のページからどうぞ。同じように揺れている方へ向けて、ホストへの気持ちをやめたい・やめたくない狭間にいる方へ、「死にたい」と「死にたくない」が同時にある方へ、自分を傷つけてしまう夜のことを書いた記事もあります。よければ、あなたのペースで読んでみてください。
※「死にたい」「消えてしまいたい」など命に関わるお悩みは、専門の相談窓口へ連絡することも大切です。よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・無料)、いのちの電話 0570-783-556 など、公的な相談窓口もあわせてご利用ください。教会はその上で、心の支え・対話の場として並走します。
✚ 話を聞いてほしいだけでも歓迎です
アドナイ・エレ教会はオンラインで無料の懺悔室をお開きしています。
教派・信仰の有無は問いません。教会へ来られない方も、画面越しでお話しできます。
活動を支えてくださる方は献金・寄付のページもご覧ください
コメント