「死にたい」と思うのに、心のどこかで「本当は死にたくない」とも思う。
その二つが、同じ夜に、同じ胸の中に並んでいる。
どちらかが嘘なわけでも、気の迷いなわけでもありません。
矛盾しているのでも、あなたがおかしいのでもありません。
「死にたい」と「死にたくない」は、同時にあっていいのだと、まずお伝えしたいのです。
この記事は、その気持ちのどちらかを消そうとするものではありません。どちらもそのままで、ただ少しだけ息をつける場所として、読んでもらえたらと思います。
「死にたい」と「死にたくない」が同時にある——それは矛盾ではない
「死にたい」という言葉の奥には、多くの場合「今のこの苦しさが終わってほしい」という願いが隠れています。
消えたいのは"あなた自身"ではなく、"この痛み"のほうなのかもしれません。
だから、「死にたい」と「生きていたい」が同居するのは、おかしなことではありません。
その揺れは、あなたがまだ何かを諦めきれていない、ということでもあります。
とはいえ、今はそれを無理に前向きに捉え直さなくて大丈夫です。揺れたまま、ここにいてくれて構いません。
「消えたい」「居場所がない」と感じる夜に
「死にたい」とまでは言えなくても、「消えたい」「ここにいていい気がしない」と感じる夜があります。
誰かに言えば心配させてしまう、重いと思われる、迷惑になる——そう考えて、言葉を飲み込んできた方も多いはずです。
本当は、居場所がないのではなく、安心して弱音を吐ける場所に、まだ出会えていないだけなのかもしれません。
「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。」
(出典:詩篇 34:18・口語訳)
聖書のこの一節は、「元気を出しなさい」とも「早く立ち直りなさい」とも言いません。
ただ、心が砕けている人の"近く"にいる、と書かれているだけです。
近くにいること。それは、答えを出すことよりも先にできる、いちばん静かな寄り添い方なのだと思います。
答えを出さなくても、話を聞くことはできます
「相談したところで、どうにもならない」と感じているかもしれません。
たしかに、私たちにあなたの状況を一瞬で変える力はありません。
それでも、答えが出なくても、話を聞くことはできます。
アドナイ・エレ教会は、オンラインで無料の懺悔室を開いています。
顔を見せる必要も、本名を名乗る必要もありません。
教派や信仰の有無、これまでの過去や今の状況も、いっさい問いません。
「ただ話を聞いてほしいだけ」でも、もちろん大丈夫です。
「やめなさい」とは言いません
ここでは、「そんなことを考えてはいけない」とも「もっと前向きに」とも言いません。
その言葉が、今のあなたにどれだけ届きにくいかを、知っているからです。
あなたの今の気持ちは、そのままで構いません。
無理に明るくならなくても、結論を出さなくても、ここにいていいのです。
そう感じる夜があるのだと、私たちはただ受け取ります。
自分を傷つけてしまう自分を責めてしまう夜について書いた「自分を責めてしまう夜に」の記事や、「眠れない夜にひとりで抱えているあなたへ」も、よかったらあわせて読んでみてください。
そして、もし誰かに話してみてもいいと思えたら、オンラインの懺悔室はいつでも開いています。
ひとりで抱えなくてもいい場所として
この夜が明けたら何かが解決する、とは言えません。
「希望は必ずあります」と無理にまとめるつもりもありません。
ただ、その気持ちを、ひとりで抱えなくてもいい。
それだけは、何度でもお伝えしておきたいのです。
消えたい気持ちを抱えながら、それでも今日まで生きてきた。
そのことを、責めることも、急かすこともしません。
気が向いたときに、画面の向こうから声をかけてもらえたら、私たちはここにいます。
※「死にたい」「消えてしまいたい」など命に関わるお悩みは、専門の相談窓口へ連絡することも大切です。よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・無料)、いのちの電話 0570-783-556 など、公的な相談窓口もあわせてご利用ください。教会はその上で、心の支え・対話の場として並走します。
✚ 話を聞いてほしいだけでも歓迎です
アドナイ・エレ教会はオンラインで無料の懺悔室をお開きしています。
教派・信仰の有無は問いません。教会へ来られない方も、画面越しでお話しできます。
活動を支えてくださる方は献金・寄付のページもご覧ください
コメント