パパ活や援交を「やめたい」と思う気持ちと、「やめられない」「やめたくない」という気持ちが、同じ心の中に一緒にある。その揺れを、誰にも言えないまま抱えている夜があるかもしれません。
この記事は、どちらかの気持ちを正解にするために書いていません。「やめなさい」とも「続けていい」とも言いません。今のあなたの気持ちは、そのままで大丈夫です。ここでは、その揺れをそのまま置いておける場所について、少しだけお話しします。
「やめたい」と「やめたくない」が同じ心にあること
やめたいのに、やめたくない。矛盾しているように見えて、これはとても自然なことです。
やめたい理由も、やめたくない理由も、どちらもあなたの本当の気持ちです。お金が必要だったり、その時間だけ寂しさが紛れたり、誰かに必要とされている感じがしたり。理由は人それぞれで、そこに良いも悪いもありません。
「本当はやめたいのに、どうして」と自分を責めてしまう人もいます。でも、二つの気持ちが同時にあるのは、あなたが弱いからでも、だらしないからでもありません。心が、いくつもの現実の間で必死にバランスを取っているだけです。
誰にも言えないのは、あなたが弱いからではない
この話は、友達にも家族にも、なかなか言えません。言えば、心配されるか、責められるか、引かれるか。どれも想像がついてしまうから、言葉を飲み込む。そうやって、ひとりで抱えてきたのだと思います。
言えないことは、恥ずかしいことではありません。ジャッジされるのが怖いから黙る、というのは、心を守るための当たり前の反応です。
今のあなたの気持ちは、やめたい気持ちも、やめたくない気持ちも、責めたくなる気持ちも、そのままで構いません。ここでは、どれかに決めさせようとはしません。
理由を問い詰めたりはしません
「どうして始めたの」「なんでやめないの」——そう問い詰められるのが、いちばんしんどいのかもしれません。ここでは、それを聞きません。
やめる・やめないを決めるのは、あなた自身です。誰かが横から決めることではありません。私たちができるのは、その揺れの隣にいて、あなたの言葉をそのまま聞くことだけです。過去に何があっても、今どんな状況でも、それを罪として裁いたりはしません。
「自分は汚れてしまった」と感じている人もいるかもしれません。その感覚も、否定しません。ただ、聖書にはこんな言葉があります。
「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。」
(出典:詩篇 34:18・口語訳)
心が砕けているときにこそ近くにいる、という言葉です。信じてください、とは言いません。ただ、そういう見方をする場所もある、というだけのことです。
話すだけでも、少し軽くなるかもしれない
答えが出なくても、話を聞くことはできます。何かを解決しなくても、ただ声に出して誰かに聞いてもらうだけで、少しだけ息がしやすくなることがあります。
アドナイ・エレ教会は、オンラインで無料の懺悔室をひらいています。教派も、信仰の有無も問いません。クリスチャンでなくても、教会に来たことがなくても大丈夫です。過去に何があっても、それを話す必要すらありません。画面越しに、話したいことだけ、話せる分だけで構いません。
同じように「やめたい」と「やめたくない」の狭間にいる気持ちについては、ホス狂いをやめたい・やめたくない狭間にいるあなたへや、推し依存がつらい・推し活をやめたい夜にでも書いています。よかったら、あわせて読んでみてください。話を聞いてほしくなったら、懺悔室(無料相談)の扉は、いつでも開いています。
※「死にたい」「消えてしまいたい」など命に関わるお悩みは、専門の相談窓口へ連絡することも大切です。よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・無料)、いのちの電話 0570-783-556 など、公的な相談窓口もあわせてご利用ください。教会はその上で、心の支え・対話の場として並走します。
✚ 話を聞いてほしいだけでも歓迎です
アドナイ・エレ教会はオンラインで無料の懺悔室をお開きしています。
教派・信仰の有無は問いません。教会へ来られない方も、画面越しでお話しできます。
活動を支えてくださる方は献金・寄付のページもご覧ください
コメント